エクセルのブログ

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書評「銀行問題の核心」(江上剛・郷原信郎著)

 タイトル通り、銀行が抱える問題について二人の筆者が話し合う対話篇です。江上氏は第一勧業銀行が総会屋事件を起こしたときの広報を担当していた方であり、郷原氏はコンプライアンスについての弁護士です。みずほ銀行が反社会的勢力へ融資していた問題や、中小企業融資など、現在の銀行が抱える問題を弁護士と元銀行員という二つの視点から話しています。自分は現在、森金融庁長官の銀行検査大改革についての新書も読んでいるのですが、かなり共通する部分も多く、楽しんで読めました。森金融庁長官が地域経済を金融庁側から語った本であるとすれば、こちらは銀行員側から語ったものになります。また、対話という形をとっているためだいぶざっくばらんな話も出てきます。

 

対話の大きな部分を占めているのが、地域経済と銀行の関係性についてです。

バブルの時には銀行はさまざまなところへイケイケドンドンで融資をしました。そのため実は融資先が暴力団関係だった、などということも起きていたのです。このような場合、銀行のいわゆる「MOF担」が大蔵省の役人を接待して検査をごまかすのですが…

しかし現在ではこのような癒着はなくなり、金融庁側の検査がかなり厳格なものになっています。それは厳格すぎるあまり、地域経済の実情を考えていないこともよくあるのです。機械的に不良債権の判断をしていくため、それがもとで資金を貸し出せなくなり、地域の会社がつぶれていってしまうということが発生したわけです。

二人の意見として出て来る「教条主義的すぎる」という言葉はまさにこのことを表していると言えます。機械的に、厳格に審査するあまり銀行側はリスクを恐れ融資を渋るようになる、結果として地域経済への融資はすくなくなってしまいます。森長官はこの事態を打開するため、経営の健全性ではなく銀行の事業性をもって評価すべきという指標を作成するのです。

しかし、これは功を奏すまでに時間がかかりそうです。銀行員からはいわゆる「目利き」の能力がなくなってしまっているのです。銀行が地域経済を支える存在になるという森長官の目標が達成されるためには、長い視点を持つ必要がありそうです。

 

 

銀行問題の核心 (講談社現代新書)
 

 

書評「幸福な王子」(オスカー・ワイルド著)

 オスカー・ワイルドの名前は有名ですが、書いた本を読んだことがなかったため読んでみました。

本作は九つの短編からなる作品で、それぞれが小説というよりは童話の形式をとっています。そのため人間以外にもウサギやフクロウといった動物だけでなく、ロケットなどの物もおしゃべりをします。また、やりすぎかとも思われるくらいのコテコテの比喩も、童話らしい雰囲気を作り出しています。どの話もメルヘンな雰囲気を持っている、というのが特徴です。

 

また、話自体も信賞必罰だったり勧善懲悪といった童話らしいメッセージを持っています。ただ、これらの童話が面白いのは、完全な信賞必罰、完全な勧善懲悪の形になっていないことです。

例えば表題作である「幸福な王子」では、王子は自分を装飾する宝石や金銀を分け与えますが、最後には鉛だけになってしまい、鉛の心臓を残して捨てられてしまいます。この心臓はのちに「最も貴いもの」として神に扱われますが、王子そのものはもう死んで(?)しまっています。自分が貴いものであると神から扱われることを、王子は知らないのです。

 

このように、最後は神からの寵愛といった形で報われますが、資金的に裕福になったのか、肉体的に報われたのかにはあまり重要視されていないように感じられます。むしろ、内面がどうであったかということが重要で、現世よりもその魂を重視しています。

肉体よりも人間の内面に焦点を当てた信賞必罰という点では、少し対象年齢が高めの童話といえるのではないでしょうか。対象年齢が高い分、子供だけでなく私たちにも「精神は高潔であれ」というメッセージを発しているように感じられます。

幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫)

幸福な王子―ワイルド童話全集 (新潮文庫)

 

 

書評「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学」(山田真哉著)

 タイトルはかなり有名ですね。自分が中学生くらいの時にベストセラーになった本です。購入するまで自分はサブタイトルを知らなかったので、さおだけ屋の経営についての論文なのかと思っていました…

 

サブタイトルまで通して読めばなんとなく想像はつくと思いますが、日常的な疑問点を切り口に、そこから会計を見ていくという本です。さおだけ屋以外にもなぜかつぶれないフランス料理店やワリカンなどについて、それは会計的にどう説明できるのかということが書いてあります。「キャッシュフロー」「回転率」という言葉は聞いたことはあるが意味を詳しく知らないという人向けの本です。

 

あとがきにも書いてありますが、この本が出るまでの会計学の入門書というのは難しい単語を説明しているというだけのものだったそうです。だから、入門書への橋渡し的な本を書こう、というコンセプトのもとに作成されたのがこの本です。したがって、大学の講義で会計や簿記の講義をとっている人が読めば少し物足りなく感じるかもしれません。その一方で、簿記を全く知らない人にとってはうってつけの入門書というわけです。「回転率」などの言葉は出版された2005年にはなじみが薄い言葉だったと考えられますし、飛ぶように売れた理由もわかると思います。

 

自分も簿記や会計、経営学の勉強をしたことがあるため、既存の知識の再確認という意味が強い本になってしまいました。ただ、会計以外の部分ではビジネス書のような役に立つ知識が披露してあるため楽しく読めるとは思います。

すでにある程度の知識がある人にとっては少し面白味がない本かもしれませんが、万人向けのビジネス書と捉えれば優秀な本だと思います。

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

 

 

書評「谷崎潤一郎犯罪小説集」(谷崎潤一郎著)

 特徴的な表紙とタイトルの本です。四編の短編小説から成る本です。

日本における推理小説の元祖といえば、誰もが江戸川乱歩の名をあげると思います。そして、江戸川乱歩エドガー・アラン・ポーに影響されてそのペンネームを付けたというのも有名です。しかし、実は江戸川乱歩以前に推理小説に挑戦した作家がいるのです。それが谷崎潤一郎であり、江戸川乱歩がミステリの枠を形作る前の時代に、ミステリに挑戦しているのです。その谷崎潤一郎著作江戸川乱歩に影響を与えることになりました。

 

このような視点から読めば、面白さが増すのではないかと思います。「柳湯の事件」「途上」「私」「白昼鬼語」の四編が収録されていますが、前三篇はお世辞にもできがよいとは言えません。しかしながら、ミステリをなんとか自分の形で表現しようという作者の努力が伝わると思います。そうした挑戦を積み重ねて完成したミステリが、最後の「白昼鬼語」へとつながっていくのです。

分量が前三篇と比べて長いだけでなく、話自体も骨太なものとなっています。特に主人公とその親友・園村が殺人現場を目撃する場面はぺージをめくる手をせかすような作者の表現の妙があり、話に引き込まれていきます。そして最終的に「園村は狂人である」という伏線を最後に回収するラストも素晴らしかったです。

 

現在主流になっている、謎を解くタイプの本格ミステリとは時代が異なり、知恵比べのような要素はありません。しかし作者が導くジェットコースターのような緩急の激しいシナリオは読むに値するものであると思います。

谷崎潤一郎犯罪小説集 (集英社文庫 た 28-2)

谷崎潤一郎犯罪小説集 (集英社文庫 た 28-2)

 

 

書評「かけひきの科学」(唐津一著)

 かけひきについて科学的に論じたものといえばゲーム理論が有名です。この本では、ゲーム理論の基礎的な話を紹介しながら、それを土台に実際の交渉ではどのように行動すべきかということについて作者の経験談や実例に即して述べてあります。

 

サブタイトルにもある通り、かけひきについて最も重要なのは情報であると述べています。つまり、相手の提示した情報を評価して正当性があるのかを確認すること、さらに相手の主張を覆すような数値を調べておき提示することが大事なのです。言ってしまえば当たり前のように思われますが、実はなかなかこれができていないとい筆者は述べています。例えばマスコミやアメリカ政府が出す数値です。確かに計算すればそのような値になるかもしれません。しかし、政府の出すような数値であっても導出プロセスにおかしな点があったり、「なんでこの数値をもってくるの?」と疑問を抱くような部分がある、そして自らの主張に都合の良い数値を作り出している、と主張しています。確かに「かけひきの技術」や「仮説の立て方」について論じている部分はありますが、作者は結局正確なデータが必要、という結論にまとまっています。

 

かけひきの技術では、最悪を予測しておいて損失を減らす「ミニマクスの定理」やダミーを混ぜて相手を混乱させる「ランダムの定理」などのテクニックを紹介し、仮説の立て方では「サイバネティクス」という、あらかじめ大まかな目標を定めておいて、後から徐々に修正していく方法を提案していますが、肝心のデータの取り方についての言及が少ないのが残念です。

 

ただわかるのは、二年程度の長期的なデータでないと意味がないということです。短期的な傾向をもとに行動してしまうと木を見て森を見ずといった結果になってしまい、大損してしまうことになりかねません。

具体例が豊富であるのはとてもよいのですが、逆に具体例を増やしすぎてしまって何を言いたいかが見えにくくなってしまっているように思われます。冗長すぎる、というのが文中の表現にありますが、まさしくこれが当たるでしょう。なお、冗長度はほどほどにあればわかりやすい文章になり、それを知るためには古今東西の名著と言われる作品を読むのが良い、というのが作者の主張です。

 

結局、かけひきや交渉にはデータが必要といいながら、情報収集のやり方にまで詳しく言及されていないのが残念だと言えます。おそらく、機械などではなく実際の「人」を使った情報収集を作者は推奨しているのでしょうが、その部分が膨大な具体例のせいでかすんでしまっているのが残念です。

 

かけひきの科学―情報をいかに使うか (PHP新書)

かけひきの科学―情報をいかに使うか (PHP新書)

 

 

 

書評「壁」(安部公房著)

 本書は六つの短編から成る短編集です。更に言うと、「壁」という小説はありません。短編集のタイトルが「壁」なのです。

芥川賞を受賞した作品は主張かなり複雑なものが多い、というのが自分の印象でしたが、この作品はいい意味でそれを裏切ってくれました。

 

つまり、最初から最後まで作者の描きたいことは「アイデンティティの喪失」ということなのです。それを形を変えて問い続けたのがこの六つの短編になります。

その中でも、最初の「S・カルマ氏の犯罪」のアプローチは面白いです。普通アイデンティティの消失というと、この短編の中では「赤い繭」「洪水」「魔法のチョーク」のように自分の境界線が消えてしまって他者との見分けがつかなくなってしまう、という形式が多いです。しかしながら、「S・カルマ氏の犯罪」ではそこからさらにもうひと手間加えています。カルマ氏は「名前を無くす」ことでアイデンティティを失ってしまうのですが、そこからさらに周囲の環境もハチャメチャになってしまうのです。外と中の両面から、カルマ氏のアイデンティティを壊すアプローチが試みられています。これはラストの「バベルの塔の狸」にも共通しています。

しかしながら、カルマ氏は最終的に「荒野にぽつんと立つ壁」という形でアイデンティティを得るのに対し、「バベルの塔の狸」のアンテンさんは元の世界に戻るという形でアイデンティティを取り戻します。前者の書き方はどこか寂しく書かれているのに対し、後者ではラストの場面はホッとするような、あるべきところへ無事帰ってきたような書き方になっています。アイデンティティを喪失した結果新たなアイデンティティを得るのか、それとも取り戻すのかでの違いがここに表れています。

 

アイデンティティの喪失」という観点から書き上げられた六編はいずれも実験的小説というのがぴったり来ますし、時代の差を感じさせない読みやすい作品でした。

壁 (新潮文庫)

壁 (新潮文庫)

 

 

書評「続 日本人の英語」(マーク・ピーターセン著)

 前回紹介した「日本人の英語」の続編です。ただ、前回では「英訳するときに日本人が犯しやすい間違い」に焦点を当てていたのに対して、今回は「日本語が持つ表現の範囲と英語が持つ表現の範囲のズレ」に焦点が当たっています。日本語で表現できるものには限りがありますし、それは英語でも同じです。文化的な違いなどから難しい表現について、「日本人はこのような感覚を持っているが、アメリカ人は持っていない。ではニュアンスが伝わるようにするにはどのように英語で表現するべきか」といったことを作者が実践しています。もちろんその逆もあります。

 

自分は英訳が不得意だったこともあり、ただただ感心するばかりでした。冠詞のaとtheの使い分けや、中学校で習うレベルの単語のニュアンスなど、深いところまで掘り下げてあり文章のほとんどの部分が重要だと感じました。ただ結局読むだけでは記憶は薄いので、例えば同じ作者が出しているロイヤル英文法などをこなすのがよいのだろう、という結論に落ち着きました。

 

しかし前著と比べると複数の文章を羅列してあり、違いが理解しやすくなっています。日本語について外国の方が日本語で解説している文法書というのはそうないので、読む価値はあると思います。

続・日本人の英語 (岩波新書)

続・日本人の英語 (岩波新書)